目 次
■ 血の絆(中編) - 第4章 株式会社フジモリ
(1)

一郎は大学を卒業すると、東京に戻ってフジモリで働くことにした。アメリカへの留学をとりやめたのは、もちろん若林博見に会えなくなるからだ。そのことで一郎は、祖父と初めて対立した。
「お前は自分で言ってたんだぞ、アメリカで勉強するってな。男は一度言ったことには、責任をもつべきだ」
「ものごとに変化はつきものですよ。お祖父ちゃんの若い頃は、剛球一直線だろうけど、そればかりじゃ長続きしない。ときに変化球も投げる必要がありますよ」
「ふん、22歳の若造が、78歳の私に説教か」
「ぼくはべつに、お祖父ちゃんに説教しているわけじゃないよ。自分の考えを言ったまでです」
「お前をひとりで神戸にやったのは、間違いだったかもしれん。前はもっと、素直な子供だったのに――」
結局、喜一郎のほうが折れた。彼は孫を自分の手元において、フジモリグループの将来の統率者として、帝王学を教えることにした。

一郎は祖父と行動を共にして、仕事を覚えていった。彼はそのとき初めて、祖父の握っている権力の絶大さを知った。グループ企業はいずれもその分野では一流の会社だったが、そこの経営者たちでさえも、一郎の祖父に対しては、まるで天皇陛下に接するようにかしこまっているのだ。
兄の芳郎は、東京の平河町にある藤森家の別屋敷に住んでいた。彼はグループ企業のフジモリテレビにいたが、めったに顔をあわせなかった。また、顔をあわせても、あまり話題がなかった。
ときに兄の風評を聞くことがあった。非常に艶福家で、いつも複数の女性と交際しているという噂だ。そのことは祖父も知っているらしく、芳郎の話題になると、いつも不快そうな表情をした。
叔父の司郎は、同じビル内にいたが、彼の父、喜一郎が一郎のそばにいることもあって、あまり近寄ってこなかった。司郎は、自分の父親を苦手としていたのだ。
しかしたまには、一郎を誘って食事に出かけることがあった。そんなとき、子供のいない司郎は、いかにも一郎がかわいくて仕方がないというように、愛情あふれる態度で接していた。
いっぽう、若林博見の話していた荒川高志は、この春にフジモリから、兄の芳郎と同じテレビ局に移っていた。
一郎は東京に戻って、最初の一カ月ほどを鎌倉の実家で生活したあと、父から相続した財産のひとつだった、広尾のマンションに移り住んだ。彼がそのマンションに住んだのは、丸の内にある会社への通勤が近くなることもあったが、本当の理由は、祖父に詮索されずに若林博見とつきあうためだった。
そのマンションは、彼の父親が生前、ひとりでよく寝泊まりしていた。一郎は、父の匂いを絶つように、部屋の中をすべて改装した。
新居に移ると、身の回りの世話役として、爺やの北沢が嬉々としてついてきた。

一郎は、若林博見から聞いて、気になっていたことを調べようとした。
彼は休暇を利用して、荒川高志の実家をたずねた。目的の家は、古びたレンガ造りのアパートだった。薄暗い階段を上り、2階の端にあるドアの前に立つと、一郎は大きく深呼吸をしてチャイムを押した。
ドアが開き、背の低い、丸々と太った老人があらわれた。老人は、陽に当たったことがないと思えるほど、色が白かった。張りを失った目蓋の下から、水っぽいうるんだ瞳が一郎を見上げ、驚いたように丸くなった。
一郎が話しかける前に、老人はうやうやしく頭を下げ、彼を部屋のなかに招きいれた。
部屋の中は薄暗く、老人の湿っぽい体臭が染みついていた。
息子の高志は、同居していなかった。それに26歳年下の女房は、はるか昔に、どこかの男と駆け落ちしていることも調べていた。

古ぼけたソファーに座っていると、老人がお茶を入れて持ってきた。
「まさか若さまが、こんなむさくるしいところに来られるとは、思いもしませんでした。でも、若さまはたいそうご立派になられました。亡くなられた旦那さまも、きっとあの世でお喜びのことでございましょう」
老人は言葉を詰まらせた。
一郎は無言で、老人が落ち着くのを待った。しばらくして、老人に話しかけた。
「荒川さん、親父の運転手をやめて、何年になりますか?」
「そうですなあ、もう10年ちかくになりますか」
老人の目が、遠くを見つめるような表情になった。
一郎はさりげなく訊いた。
「高志さんと言いましたね、息子さんはお元気ですか?」
老人はとまどった顔で一郎を見た。
「高志は――元気ですよ。今は、フジモリテレビでお世話になっています」
「そう――息子さんは何歳になられます?」
「あのう――高志がなにかしでかしたのでしょうか?」
「いえいえ、なにもしていませんよ。それで、何歳なんです?」
「26歳ですが――」
「あなたとは年が離れすぎているようですね」
老人はつぶやくように言った。
「私は晩婚だったもので――」
一郎はずけずけと言った。
「あなたは45歳で結婚された。そして奥さんは、その5カ月後に高志さんを出産されたそうですね」
老人はギョッとしたように、一郎の顔を見た。一郎は博見に頼んで、荒川親子の戸籍謄本やなにかを調べていたのだ。彼は単刀直入に訊いた。
「失礼なことを聞きますが――高志さんは誰の子なんですか?」
老人のゆるんだ顎が、小刻みに震えだした。
「若さま、いきなりなにを言われるのです。高志は――私の子供にきまっています」
老人は震え声で言いながら、一郎から顔をそむけた。
一郎は老人の右手をとると、両手の掌ではさんだ。老人の手は、むくんでゴムのように軟らかだった。
老人の目をまっすぐ見ながら、再び質問した。
「もう一度訊く。ぼくの目をまっすぐ見て、答えてほしい」
一郎は命令口調で言った。「高志さんは、ぼくの親父が生ませた子どもじゃないのか?」

老人は答えなかった。うるんだ目に涙が浮かび、口元が震えていた。
彼はかろうじて声をだした。
「若さま、失礼して休ませていただきます。血圧が高くて、すぐ疲れてきますので」
老人はヨロヨロとふらつきながら、立ち上がった。その足取りがあまりに危なっかしいので、一郎は老人の体を支えてやった。
ベッドの上に寝かしつけると、老人は目を閉じて、ぐったりとした。丸くふくらんだ腹だけが、ゆるやかに上下に起伏している。
老人は眠っているのか、目を覚ましているのかわからなかった。肉づきのよい幅広の顔が、ピンク色に染まり、丸っこい鼻と額に、汗を浮かべている。唇をわずかに開き、息が苦しそうだった。
シャツの襟元のボタンを外してやりながら、一郎はこの70過ぎの老人の顔を観察した。人の良さそうな、いくぶん気弱そうな童顔だった。その顔には、荒川高志のおもかげは全くなかった。これ以上問い詰めても、この老人からは何も引出せそうになかった。
一郎は、目を閉じた顔をみつめ、ささやきかけた。
「荒川さん、ぼくは失礼しますよ」
老人が目を開けた。色褪せた茶色の瞳が濡れていた。
「ああ、なにもお構いできずに失礼しました。でも若さまのご立派に成長されたお姿を拝見して、安心いたしました」
一郎は老人に言いようのない哀切を覚えながら、部屋をあとにした。

(鎌 倉 1985年)
男は素っ裸で浴室から出てきた。筋肉質の体が、全身赤く染まっていた。彼女に近寄ってくる男の股間で、性器が蛇のように頭をもたげかけていた。
湯浅祐美は、高校を卒業してすぐ、使用人として藤森家に雇われたばかりだった。彼女の親代わりに面倒を見てくれていた、藤森家の執事をやっている叔父の紹介だった。高校のときにバレーボールをやっていた彼女は、体力と健康だけは自信があった。
彼女の働くお屋敷は、時代劇で見た武家屋敷のように広大で、旦那さまや奥さまは雲上人のような存在だった。彼らの命令に逆らうことなど、彼女にはとんでもないことだった。
そしていま、裸になった旦那さまは、彼女の体を求めているのだ。それも、奥さまが出産後の療養で、病院にいるときに――。
最初に気づいてよかった――夜中に旦那さまの部屋に呼ばれたときに。
彼女は硬直したように突っ立って、近づいてくる旦那さまを見ていた。彼女の視線はどうしても体の一点に戻ってしまう――股間に突き出た恐ろしげなものに。
旦那さまは近寄り、彼女の衣服を剥ぎとった。それから彼女を抱きしめた。大きな肉体が彼女の体を圧迫した。旦那さまは吐息をつき、感に耐え切れぬようにささやいた。
「いい娘だ。さあこっちにおいで」
優しい言葉とは裏腹に、旦那さまは強引に、祐美の体を蒲団の上に組み伏せた。彼女はうつ伏せに身をなげだし、腕に顔を埋めた。その姿勢のまま、旦那さまが後ろからのしかかってくるのを感じた。
男のたくましい肉体に包まれて、彼女は恐怖にかられた。旦那さまはのしかかったまま、彼女の太股から脇腹、それから前に手を回して乳房を愛撫しだした。
そのあと、旦那さまは彼女の太股をつかみ、腰を持ち上げ、四つん這いにした。左手で背中を押し、右手で突き出された臀を愛撫した。
熱く硬いものが入り口を圧迫し、それから膨らみを割ってなかに押し入ってきたとき、鋭い痛みが襲った。
祐美は悲鳴をあげながら、男から脱け出ようと腰を引いた。しかし、旦那さまは彼女の腰をつかんで引き戻し、のしかかってきた。膝で彼女の股を広げ、強引になかに押し入ろうとした。
「いやっ!やめて!」
彼女は身悶えして、旦那さまから逃れようとした。しかし男の性器が強引に彼女を貫き通し、深く完全に入り込んできた。
「いいぞ――とてもいい」
旦那さまが、うなりながら腰を押しつけてきた。
「いや――いや――」
彼女は泣いた。「ゆるして!」
そのあとは、苦痛の連続だった。彼女にとって延々とも思える時間が過ぎた。最後に旦那さまがくぐもったうめき声とともに到達し、ほとばしる精液が彼女の体内を満たした。
そのとき裕美は、旦那さまの子供を身籠もったのだ。
彼女は叔父にそのことをうちあけた。彼女の妊娠を執事から聞いた旦那さまは、独身だった中年の運転手と彼女を強引に結婚させた。運転手の荒川は、40代半ばのころころと太った男で、気は小さいが優しい性格をしていた。
裕美は荒川と結婚後、5カ月して丈夫な男の子を出産した。その子の父親がだれであるか、それは限られた者たちだけの秘密だった。
[18/01/16 08:17 閑名三爺]
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