目 次
血の絆(前編) - (4)
(4)

経済記者の若林博見は、神戸にきていた。神戸港の近くで進行中の、複合再開発の取材で来たのだ。カメラマンの山端が同行していた。仕事が終わると、ふたりは三ノ宮の街で、ウィンドゥショッピングを楽しんだ。
「ヒロちゃん、そろそろ晩飯にするか?」
と山端が言った。
「どうして?まだ早いよ」
博見が答えると、山端がにやついた。
「いいじゃないか。早めにメシを食って、あとはホテルでゆっくりしようよ」
「ホテルでゆっくりするって、ひまを持て余しちゃうよ。せっかく神戸に来たんだから、もっと街を見て歩こうよ」
山端の魂胆はわかっていたが、博見は冷たく言った。
「おいおい、せっかくふたりきりになれたんだぞ。それにしばらくご無沙汰してるじゃないか。今夜はたっぷりと燃え上がらせてあげる」
山端が体をすり寄せたが、博見のほうは他の何かに気をとられていた。
「ヒロちゃん、どうしたんだい?」
「あの若者――たしか、藤森一郎じゃないか?」
彼の視線の先に、ジーパンに白のTシャツを着た若い男が、彼らの方向に歩いてくるところだった。
「藤森一郎――だれだい?」
「前に藤森伸郎の葬式に行ったじゃないか――その息子だよ。いいチャンスだから、ちょっと取材してみようか」
「おい、よせよ。むこうだって迷惑がるぜ」
山端がそう言ったときには、すでに博見は若者のほうに歩み寄っていた。

博見に声をかけられ、若者はけげんそうな表情をしていた。しかし、博見が身分を名乗ると、にっこりと微笑んだ。まるで、梅雨の雲間から太陽の光がにわかにさしたような、暖かい笑顔だった。
その笑顔を見たとたん、博見はいっぺんにこの若者が好きになった。
「ああ、父の葬式のときに来られていた方ですね」
若者が言った。
自分を覚えていると聞いて、博見はまさかと思った。あのとき自分は、庭の片隅にいたし、ひとことも若者と話したことはなかった。
「きみは、私を覚えているの?」
「もちろんです。あなたは荒川さんと話しておられたでしょう。それに、そちらの方もおられましたね?」
若者の記憶力の良さに、博見は一瞬、唖然とした。
(しっかりしろよ、あんたは、彼よりはるかに年上のベテラン記者だろう)
博見は気を取り直して、若者に言った。
「すごい記憶力だな――ちょっと、お話をうかがえないですか?」
若者は、急に用心深い顔つきになった。
「いいですけど――なんで、ぼくのような青二才に、インタビューをするんですか?」
「記事にはしないよ。約束する。私の個人的興味のため。私は経済ジャーナリストを目指しているんでね」
「ああ――父のことですか?じつは、ぼくは息子でありながら、父のことはあまり知らないんです。むしろ、あなたのほうがよく知ってるかもしれない」
「それでもいいですよ。それからお祖父さまのことも聞きたいし――。じゃあちょっと、どこか静かな喫茶店でも行きましょう」

3人は結局、夕食も一緒にした。店は若者の紹介で、こぢんまりとして歴史のにじみ出たステーキ屋だった。
料理はすばらしかった。神戸牛の霜降り肉に、ニンニクのスライスがほどよいスパイスになって、博見も山端も追加注文をするほどだった。
会話のほうは、もっぱら博見がしゃべって、若者が言葉少なに受け答えした。その横では山端が、せっかくのアバンチュールの夢も消え、すっかりあきらめ顔で聞き役にまわっていた。
若者は、あまり家族のことを話したがらないようすだった。そのうち、ワインがすすむにつれ、若者は神戸の話題にきりかえて、自分から話しだした。
若者の話を聞きながら、博見は内心、驚いていた。無口だと思っていたのに、若者は今やたくみな話術で、博見の好奇心をぐんぐん惹きつけていく。話す内容は、表現力豊かで、それでいてオーバーではなく、淡々としてウイットが利いていた。いかにも若者らしい、素直で暖かい人柄を偲ばせる。
ときどき博見は、自分がうっとりとして若者の顔に見入っているのではないか、と気になった。
それほど、間近に見る若者は魅力的だった。
のんびりとした育ちの良さと、日焼けした精悍さの奇妙に混ざり合った顔立ち――とくに話すとき相手の目をまっすぐ見つめる瞳が、彼を強く魅きつけた。知性と純粋さと、そして強い意志を感じさせる、澄んだ目だった。

いつのまにか夜の9時になっていた。
「さあ、そろそろお別れにしようか」
山端が立ち上がりながら、ホッとしたように言った。
若者の顔に、ほんのわずかだが、名残惜しそうな表情がよぎった。その表情を見て、博見は思わず言っていた。
「その前に、夜の港に案内してくれない?せっかく神戸に来たんだから」
すかさず若者が返事をした。
「じゃあ、メリケンパークに行きましょう」
山端は、やれやれと言うように、ふたりを見た。
「私は疲れたんで、先にホテルに帰るよ」
それから思い入れたっぷりに、博見の顔を見ながら言った。「じゃあ、待ってるよ」

港は静まり返っていた。夜の冷気が、アルコールでほてった体に心地よかった。
ふたりは黙って、暗い海のかなたを眺めていた。聞こえてくるのは、海の向こうのかすかな霧笛、それに足下におしよせて岸壁を洗う波の音だけ。
一郎の心の中では、すぐ間近にいる中年記者への性的欲求がふくらんでいた。その感情は自分でも不思議に思うほどだった。
性と年齢を超越したような楚々とした顔立ち、衣服を通してでも感じ取れる、しなやかな肢体。そして、年配者らしくない初心っぽい雰囲気――幼くて、頼りなさそうで――弱者を庇護しようとする一郎の男心をくすぐる。円熟した伊藤とは違う男の魅力に、一郎は強い性的衝動が頭をもたげてくるのを覚えた。
一方、博見のほうは、とまどいを覚えていた。
若者は感じの良いハンサムな顔をして、ウイットのきいた会話も楽しませてくれる。
しかし山端とのつき合いに慣れた彼には、この青年は若すぎた。相手が山端なら、気楽に下ネタまがいのジョークも言えるし、つまみ食いするようにセックスもできる。
それに比べ、この青年は純粋すぎた。それだけに彼にとって危険だった。
博見は最初、この若者に会ったとき、直感的に感じたのだ――もし若者と心を通わせたなら、二度と戻れぬ深みにはまるのではないか、と。

横にいる若者は、奇妙なほど静かだった。そろそろ別れる潮時だ。博見はそのことを努めてさりげなく言おうと、若者のほうに振り向いた。
とたんに、自分のほうをじっと見つめる若者と目が合った。博見は何も言えなくなった。ただ突っ立って、若者の澄んだ真剣な瞳を見つめていた。
ふいに若者が、博見を抱きすくめた。若者の筋肉質の体に密着し、体の芯がじんとうずいた。彼は初な生娘のように震えていた。

その夜、博見は藤森一郎と同衾した。博見の頭の中からは、ベッドで彼を待つ山端のことはすっかり消え失せていた。
最初のうち、若者はぎこちなかった。
若者の体は、しなやかで逞しく、そして清潔だった。肌と肌が密着して、博見の体の芯から湧き起こってくる震えは、急速に全身に広がった。片方の太股には男のこわばりを感じていた。それは、慣れきった山端にくらべれば、逞しすぎるほどの力を漲らせていた。
若者が逞しい力で押し入ってきたとき、博見は息を詰まらせ、強烈な快感にあえいだ。彼はそれだけで、軽いオルガスムを覚えていた。
最初は早かったが、二度目はずっとすばらしかった。博見は嵐のまっただ中にいた。官能の渦に、高く高く押し上げられ、ついに耐え切れなくなったとき、肉体の内側で爆発が起こり、何かがほとばしって流れだし、体中が震え始めた。
すっかり終わったとき、博見は若者の胸に顔をうずめて、むせび泣いた。生まれて初めて味わう、女にされた悦びだった。若者には山端のような技巧はなかったが、原始的なセックスの悦びを与えてくれる素朴な逞しさがあった。

その夜、ふたりは何度も愛しあった。
博見は若者とひとつになり、女の悦びに体を震わせ、歓喜の声を上げつづけた。彼の中にある女の部分が、一気に花開いたのだ。
愛の交歓の合間には、ふたりはごく自然に自分のことを話していた。博見は、山端との関係を包み隠さず話し、一郎は、生前の父親との葛藤を話し、伊藤や北沢爺との関係もありのままに話した。
博見は、この毛並みの良い青年の複雑な家庭環境に驚き、同情し、憤慨した。そのときの彼は、自分が男であることを忘れ去り、純粋に裸の女になりきっていた。
                             
                            血の絆(中編)につづく
[18/01/16 07:28 閑名三爺]
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