■ 血の絆(前編) - 第3章 巨星逝く
(1)
昼の鎌倉街道は混んでいた。若林博見はタクシーの後部座席に座り、いらいらとして腕時計を見た。藤森伸郎の葬儀は、とっくに始まっている時刻だ。博見はいらだって、前の席にむかって言った。
「運転手さん、ほかに道はないの?」
「ありませんな」
年配の運転手は、ぶっきらぼうに答えた。
「ヒロちゃん、いらついても仕方がないよ。あと10分もすれば着くよ」
カメラマンの山端が、横からのんびりと言った。
「あんたはいいね。いつも気長で、我慢強くて――」
博見は皮肉のつもりで言ったのに、山端はうれしそうに笑い、彼の耳元に口を近づけてささやいた。
「だから、アレもうまいんだよ」
山端の片手が、博見の膝を撫でた。博見は無言でその手を払いのけた。
若林博見は中堅の経済記者だった。学生時代は、経済界の一流ジャーナリストになるという大きな夢を持っていた。彼が14歳のときに死んだ父親は、経済学の権威だった。大好きだった父親に一歩でも近づこうと、彼は猛勉強をした。
大学を卒業後、経済関係の月刊誌を発行する会社に入社し、夢を達成する第一歩を踏み出した。しかし現実は厳しかった。地道な聞き込みと記事を書き続けて、大した成果もなく、20年余りが経っていた。
45歳になった今、博見はひとつの財界関連の記事欄を任されていた。
彼は人知れぬコンプレックスを持っていた。それは身体的特徴だった。まるで12歳で成長が止まったように、体毛の無い、思春期前の少年のような小柄な体をしていた。顔立ちも楚々として、男とも女とも判別しがたい中性的な顔をしている。
それに、早くに亡くなった父親に対する思慕の念があった。
この二つが相まって、博見は学生時代に、ある好き者の初老教授に男色を教え込まれた。博見は、体つきは脆弱だが、男の道具は立派だった。でっぷりと太った教授は、子供のような博見の体の下で、息も絶え絶えに善がり声をあげて悦んだ。
それ以来、博見は、本当に気に入った年配者とだけ付き合ってきた。子供のような無垢な肉体と、楚々とした初心っぽい顔、そして立派な男の道具――。
見る目を持つ男のなかには、博見の中性的な魅力に惹かれる者もいた。いま横にいるカメラマンの山端も、その一人だった。
ある夜、博見はいつも立ち寄る居酒屋で、仕事後のひとときを、同僚の山端といっしょに過ごしていた。そのとき山端が博見を誘ったのだ。それから一時間後、彼は山端とひとつベッドの中にいた。
山端はやさしかった。けっして先を急がず、博見の全身をやさしく愛撫し、機が熟すのを待った。そして、たくましい力で入ってきて、博見を内部から揺さぶった。彼はそのとき初めて女になって、苦痛のうめきと歓喜のあえぎ声をあげた。荒々しい行為の中で、男のたくましい体にしがみつき、初体験の興奮に息をはずませていた。
その後も、山端との関係はつづいた。山端は博見と同年輩で、若い頃ラグビーで鍛えた、がっしりした肉体に中年太りが始まっていた。
山端は妻帯者で、ふたりの子供がいた。
しかし博見には、そんなことはどうでもよかった。山端はたんなる仕事仲間――そしてひとときの快楽を共有する相手でしかなかった。山端に好感はもっていたが、恋愛感情などなかった。仕事の合間の疲労回復剤――彼はセックスをそう考えていた。
しかし山端は違った。彼は、自分の女房とは違う博見の、ほっそりとした肉体と初心っぽい風貌に惚れ込んだ。そして彼自身も、博見のオトコによって初めて女にされたとき、その異質の快楽にのめり込んだ。いつしか立場が逆転して、山端がウケを務めることが多くなっていた。
寺に着いたときは、参列者の焼香が始まっていた。
博見は、カメラマンを急かして奥に進もうとして、受付のところで足を止めた。数人のフジモリの社員らしい男女が受付にいたが、その中でひときわ背の高い男がいた。彫りの深い、ハッとするほどのいい男だった。
しかし、博見の気を引いたのは、そんなことではなかった。その男は、彼がこれまで新聞や雑誌を通してよく知っている、今日の葬式の当事者、死んだ藤森伸郎によく似ていたからだ。
博見は、背の高い男のほうに、ふらふらと近づいた。彼は男に声をかけた。
「あのう――」
「なんですか?」
男が彼を見て、ほほえんだ。歯並びのよい白い歯がキラリと光った。おもわず引き込まれるような笑顔だった。
「あの――『世界経済』の若林です――あなたは?」
言ったあと、博見は心の中で、自分をなじった。
(俺って、なんて無作法なんだ)
しかし男は怒らずに、にっこり笑って答えた。
「荒川です。フジモリの社員です」
「荒川さん?藤森家の親族のかたですか?」
「そうであればと思いますけどね。単なる平社員ですよ。でもどうして、私が藤森家の親族だと思われたんですか?」
「あなたが亡くなられた藤森社長に、よく似ていらっしゃるから。あの――ちょっとお話をうかがえますか?」
荒川は同僚のほうを振り返り、それから彼に向き直って言った。
「いいですよ。ここじゃなんですから――」
荒川は、博見を式の邪魔にならない、庭の片隅に連れていった。
「それで、葬式の記事ってどんなことを書くんですか?」
「実は、記事にすることって、そんなにないんです。藤森伸郎の経歴――これはいくらでも資料があります。彼は有名人ですから。彼の家族のことを聞きたいんです。あ、私の個人的興味で」
「あなたの個人的興味?」
荒川が、けげんな表情をした。
「ごめんなさい、変なことを言っちゃいました。私は経済界のことが好きで――それで、財界の巨頭だった藤森伸郎個人に興味があるんです。だって彼は、桁外れに行動力があって、国際通で、財界の異端児で――とにかく彼の人と成り、それに彼の家族のことを知りたいんです」
荒川が、例の魅力的な微笑みをうかべた。
「若林さん、そのことなら、私はあまりお役に立てません。なにせ私は一介のサラリーマンですから。社長の個人的なことは、ほとんど知りませんよ」
そこで彼は、庭の奥のほうを見ながら言った。「――あ、式が終わったようです」
博見がそちらに目をやると、金や銀が刺繍された純白の布でおおわれた、棺が運び出されるところだった。
棺のあとに藤森家の遺族が付き従っていた。その先頭は死者の父親、藤森喜一郎だった。博見は、彼を知っていたが、実物を間近に見るのは初めてだった。
老人は毅然とした態度で、まっすぐ前をむいて歩いていた。ロマンスグレーの形のよい頭、色白で上品に整った鼻と口もと、薄墨で掃いたような眉と二重瞼の小さな目――。老人の顔立ちは、長い歴史のなかで淘汰されてきた家系の、育ちの良さがそのままあらわれていた。肉体的には、小柄ですこし太り気味だが、均整のとれた体つきをしている。
そのあとに、主人の遺影をもつ婦人が続いていた。彼女は品格のある美人だが、どことなく影が薄かった。そして若いふたりの男と中年の男が後に付いていた。
博見の横で、頼みもしないのに荒川が、彼らの名前を教えてくれた。
「会長の藤森喜一郎はご存じですね。それから亡くなられた社長の奥さま、うしろのふたりはお子さまたち。背の高いほうがご長男の芳郎さま、もうひとりが次男の一郎さま」
「次男なのに一郎――?」
博見の質問に、荒川が笑った。
「だれも同じような質問をされますね。どうやら、おじいさまが名前をつけられたそうですよ。ご自分の名前からとってね――」
一介の社員が、どうしてそんなことまで知っているのだろう、と疑問に思いながらも、博見は兄弟のほうを見た。
ふたりはあまり似ていなかった。兄の芳郎は背が高く、がっしりとした体格をしていた。顔つきは死んだ父親に似ていたが、どことなく線の太さに欠けていた。縁なしメガネをかけ、遊び人のような甘さをふくんだムードがある。
一方、弟のほうは、どちらかというと祖父の喜一郎の血を受け継いでいた。中背、均整の取れた体格に、毛並みのよさをうかがわせる古典的な男前で、小麦色に日焼けした、感じの良い顔をしていた。
その弟のほうに、背後の中年男がなにやらしきりに話しかけていた。その男はふっくらとした大柄な体格をしていたが、温室培養で育ったようなひ弱さがあった。彼はどことなく、死んだ伸郎の面影を宿していた。その男のことをきくと、荒川は一瞬、躊躇したみたいだった。
「――ああ、彼は亡くなられた社長の、弟さんです。藤森司郎、フジモリの常務です」
博見はほんのわずかだが、荒川の顔に浮かんだ微妙な表情を見逃さなかった。
(この男はなにか知っている、他の誰にも話せないようなことを――)
それにしても、博見は遺族らを見ていて不思議に思った。彼らの誰もが、妙に平然としているのだ。涙を見せないのはもちろんのこと、彼らの顔には死者を悼む表情がまったく見られなかった。博見は、ふと思った。
(上流階級というのは、心の中を表面に出さない習性が染みついているのかな)
若林博見は、山端とホテルの一室にいた。藤森家の取材がおわった帰り道で、ひとときの親密な時間をすごすために立ち寄ったのだ。
今日は久しぶりに、博見がウケをやっていた。彼は山端に抱かれながらも、藤森家の親族のことが気になっていた。
実の息子が死んでも、悲しみひとつ表情にださず、淡々としたようすの藤森喜一郎。
しとやかな美人だが、影の薄い夫人。
長男芳郎のいかにも艶福家らしい、甘ったるい顔。のびやかな育ちの良さと、よく日焼けした野性味の奇妙に同居した次男の一郎。ふたりとも、父親の死をさほど悲しんでいない――いや、むしろ、ほっとしているようだった。それは自分のうがった見方だろうか。
それに、死んだ伸郎の実弟、司郎――妙に中性的なものを感じさせて、博見は司郎の中に自分と同質のものを感じていた。
とくに彼が気になったのは、受付にいた若い男、荒川だった。見ていてゾクッとくるようないい男で、しかも背が高く強靱な肉体をしている。衣服を通してでも、その男の逞しさがひしひしと伝わってくる。
それにしても彼の顔は、あまりにも死んだ藤森伸郎の面影を宿していた。生前の藤森伸郎の性生活はベールに包まれていたが、あれほどエネルギッシュだった男だ。妾のひとりやふたりいてもおかしくない。
「ねえ、あの荒川って男、藤森伸郎の隠し子じゃないか?」
博見は自分の疑問を、声に出して言った。
息を荒げ、博見の中心部に分身をもぐりこませた山端が、腰の動きを止め、けげんそうに言った。
「――なんだよ、こんなときに?」
山端は、時間が惜しいというように、腰をうねらせた。
「あっ!いい――だって――よく似てたじゃない?」
「――なにが?」
山端は、相方を本来の行為に引き戻そうと、腰の動きを早めて訊いた。
「あっ――彼だよ――荒川って人が――藤森伸郎に似てるってこと」
「そんなこと後にしてくれ――気が散るじゃないか。さあ、今は楽しいことに専念しようよ」
ちっとも燃え上がらない博見に、山端が動きをとめて不平を言った。
「オーケイ。でも、彼らのことは、もっと調べてみたいな」
博見は、同僚の太い腰を両手で引き寄せると、相手に合わせて腰をうねらせだした。山端が興奮に、息をはずませた。