目 次
血の絆V(エピローグ) - (2)
(2)

ガーデンシティー六甲苑は、順調な滑り出しを見せて、活気ある街に生まれ変わっていた。
入居者だけでなく、全国からの見学者もあとを絶たなかった。木原ビルの社員たちは、六甲苑の運営だけでなく、見学者たちの対応でも、毎日大忙しだった。
親会社の木原酒造を退職した年配の社員たちも、そのうちの多くがここの施設で再雇用された。その中には、施設課長だった植田や杜氏の笠原も入っていた。

そんなある日、木原酒造の社長室では、3人の経営陣が集まっていた。彼らは膝を突き合わせて、これからのことを話し合っていた。
「来月には、紳一が日本に戻ってくる。あれが戻ってきたときに、何をやらせるかやな」
と木原社長が、口火を切った。
「ガーデンシティー六甲苑も順調に稼動してるし、紳一を木原ビルに置いとくのはもったいない。わしはそう思うているんや」
大園専務がうなずくのを見て、社長は言葉をつづけた。「こちらに戻して、あれの活力を本社に注入させようと思うんや。どうも、うちの会社は、最近、お通夜のようで活気がない」
大園が笑いながら言った。
「わしもそう思います。紳一社長がここに戻ってくれば、それだけ悩みの種も増えますし、社長の血圧もあがることやろう思いまんが――それ以上に、あの人の刺激が欲しいところでんね」
社長がつづけた。
「まあ、紳一のような台風も、御しようによっては、社業発展の大きな力になるってことや」
「問題は、その台風の手綱を、だれが引くかということでんね」
木原と大園が、顔を見合わせて笑った。

その横で、北田相談役はしばらく考えていたが、おもむろに口を開いた。
「わたしは、しばらく今のままで様子を見たほうがいい思います。紳一さんは、大きな手術で肺の一部を失ってます。それに長い療養生活でしたから、あまりご無理をさせないほうがいい思いますが」
北田の言葉に、ほかのふたりは現実に立ちもどった。
木原社長が気をとりなおして言った。
「相談役の言うことも一理あるな。じゃあ、紳一は、しばらく木原ビルに置いとくか」
「そうでんね、あそこには中田さんがいることやし。それにしても――」
大園が思い出し笑いをした。「ずっと以前にも、今のような打ち合わせをした覚えがありますな。あれはちょうど、紳一さんがうちの会社に来るときのことやった」
「ああ――あのときは、いかに被害のない部署に、紳一を回すかということやったな」
「それが10年経った今、会社の救世主のように、復帰を待ち焦がれているんやから」
3人は、それぞれの思いに浸った。

そのとき、沈黙を破るように、デスクのブザーが鳴った。
大園が立ち上がって、受話器を取った。
「大園だ――なにっ!――分かった。こちらにお通ししてくれ」
受話器を置いてソファーに戻る大園を、ほかのふたりが見守った。
「どうした?」
木原社長が聞いた。
「珍しいお客さんがこちらに来られてます」
大園はもったいぶって、客の名前を言わなかった。彼の顔は、内心の嬉しさを押し隠しても、自然にほころんでいた。

社長室に現れたのは、木原紳一だった。
すっきりとした長身を明るいグレーのスーツで包み、彼の顔はとうてい病み上がりとは思えず、こんがりと健康的に日焼けしていた。
あっけにとられた年配者たちに向けて、紳一はにこやかに微笑んだ。
「やあ、皆さんおそろいで。ビップ会議ですか?それにしても、皆さん相変わらず若々しい。社長、ちょっと太られました?」
いつもどおりにあっけらかんと言って、紳一はソファーに腰を落とした。それを3人は、毒気を抜かれたように、声もなく見守っている。
「私はそんなに変わりましたか?そういえば、さっきも秘書の女性が私の顔に見とれていましたが。――まるで、テレビタレントでも見てる顔つきでしたな」
ようやく木原社長が、呪縛から解かれたように反応した。
「おまえ、いつこっちに戻ってきたんや?予定では来月やと聞いていたが」
「今朝、空港に着いたばかりです。新しい仕事ができたんで、予定を早めました」
そこで、しんみりとした口調になった。「いやあ、皆さんのお顔を拝見して、本当にお懐かしい。なんだかこみ上げてくるものを感じます」
木原社長が鼻で笑った。
「真っ黒に日焼けして、それがこみ上げてくる顔か。それで、新しい仕事って言うのは何や?」
人情家らしく、彼の目には涙が滲んでいた。

秘書があらたにお茶を持ってきて、会話がしばし中断した。秘書が引き下がると、紳一が言った。
「やっぱり神戸はいいですねえ。山もあれば海もある。電車でこちらに来る途中、外の景色を見ていると童心に戻りました」
大園が、先ほどの話題を出した。
「それで、さっき紳一社長が言われていた、新しい仕事って、何でっか?」
「ああ、そのことですか。ええっと――」
紳一は、なんでもないと言うように微笑んだ。「ここの敷地の、有効利用を図ったらどうかと思いましてね」
3人は、ゾッとしたように顔を見合わせた。
木原社長が言った。
「その話は無しや。いくらガーデンシティー六甲苑が成功したから言うて、その種の話はしばらく聞きたくない。なあ、大園くん」
「はあ、わしもそばで聞いていて、なんや頭痛がしてきましたわ。でも、お話だけは、お聞きしてもいいんやないでっか」
「この裏切り者」
木原は大園をにらんだが、その顔には半ばあきらめの表情が浮かんでいた。

紳一は待ってましたとばかりに、体を前に乗り出した。
「半年以上も療養生活で、無駄な時間を費やしましたからね。残り余生の損した分、早く取り戻したいんです。私もそんなに若くない。もう50の大台が迫っていますからね」
「70の大台に入るわしは、どうなるんや?」
社長が茶々を入れた。
かまわず、紳一はつづけた。
「とにかく、詳しい資料は明日、福井に持ってこさせます。かいつまんで話しますと、震災後、本社屋や工場を復旧したといっても、将来的には不安が残っています。建造物は古い構造基準で造られているし――。
それにここの敷地は、無駄な使われかたをしています。本社屋は3階建てだし、体育館などはさほど利用されていない。もっと立体的に建て替えて、利用頻度の少ない施設は、他の機能と兼用すべきです。
そこで一石二鳥の案があるんです。
古い建物を新しい構造基準の頑丈な高層ビルに建て替える。その費用を、建物の立体化で空いた土地の再開発でまかなう。ここは海に近くて車の便もいい。ガーデンシティー六甲苑とは違ったロケーションです。そこで開発コンセプトは――」
紳一は、あきらめ顔の3人を前に、とうとうと話をつづけた。
                                      完

(あとがき)

血縁をテーマにした『血の絆』3部作は、本作で完結となります。
完結編の舞台を神戸にしたのは、この町に対する特別な思いがあったからです。
山と海に挟まれた細長い地形の神戸は、坂の多い町として、また早くから世界に開かれた港町として、独特の歴史風土を育んできました。
目を閉じると、昔住んでいた神戸の街並みが思い浮かびます。摩耶・六甲の山並み、北野町の異人館。海に面したメリケンパークや市役所周辺の公園。南京町やおしゃれ感覚あふれる三宮から元町にかけての商店街――。
こんな風景を思い浮かべながら本作を仕上げました。 三爺代表、好若神亀
[18/08/29 00:21 閑名三爺]
前のページへ