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血の絆V(後編) - (3)
(3)

つぎの正月に紳一は、木原酒造の非常勤取締役、高村老人の自宅を訪問した。相談役の北田が一緒についてきた。
高村は、小柄な体と尊大な態度をした80年配の老人だった。彼は北田に対して、まるで自分の使用人のような話し方をした。そして紳一に対しては、直接面と向かって話しかけず、もっぱら北田に話しかけながらも、紳一へのあてこすりをネチネチと言った。
(このじいさん、おれの親父にへこまされて、相当いじけてるな)
紳一はにこやかな顔をして老人の嫌味を聞きながら、頭の中では別のことを考えていた。北田相談役から事前に聞いた情報によれば、紳一の父親がまだ存命のころ、他の重役たちの前で、この高村老人を厳しく叱りつけたことが何度かあったらしい。
「ところで北田、お前のところの子会社は、社内旅行でハワイに行ったそうやないか。この不景気なときに、何考えてるんや」
北田は紳一の方を見ないようにして、言葉を選びながら慎重に答えた。
「あれは、そのう――木原ビルの社員たちは全力を尽くして、開発事業を成功させたからです。つまり、功績にはそれなりの報酬をと。それに、リフレッシュすれば、次の仕事の効率もあがるかと思いまして」
「ふん、ものも言いようだ。それにしても、社員に海外旅行をさせるとは、豪勢なことやな。それで、わしら株主に対する配当はどうなるんや?」
「それはもちろん、木原ビルの売り上げが伸びれば――」
北田が慇懃に答えようとした。

それをさえぎるように、紳一が口をはさんだ。
「もちろん、配当も増えますよ。それに、ハワイ旅行を計画したのは私です。北田相談役は今回の件に、何の関わりもありません」
老人は初めて紳一の存在に気づいたかのように、彼のほうを見た。
「ほう、おまえか、あんな無駄なことをしたのは」
紳一は微笑んだ。
「無駄なことじゃないですよ。仕事で疲れた社員に、ちょっといい刺激を与えたのです。おかげで、仕事の生産性も格段にあがりました」
「おまえの親父もそうやったけど――どうやら木原家には、能書きをたれることだけは立派な血が流れているようやな。しかしどう言おうと、無駄なことは無駄なことや」
「長老は、私の父が口先だけの男だったと言われるのですか?――私は、生前の父の仕事ぶりは知りません。でも、記録に残っている数字で見る限り、父は木原酒造を立派に立て直したと思いますが――」
老人がせせら笑った。
「繁が木原酒造を立て直したやと。立て直したんやない、好き勝手に弄り回しただけや」
「でも、売り上げも経常利益も、飛躍的に拡大させたじゃないですか」
「あれは繁の手柄やない。社員たちが頑張ったからや。大体、あの男は一人よがりで、何でも自分の思いどおりやないと気の済まない男やった。ぼんぼん社長の典型やな。その点――」
老人は、意味ありげに紳一の顔を見た。「おまえも親父似やな」

北田は冷や冷やしながら、ふたりのやりとりを聞いていた。そして、彼の心配していることが現実のこととなった。
紳一は唐突に立ち上がった。その顔は血の気が引いて、白くなっていた。彼は鋭い目で老人を見下ろしながら、一喝した。
「死んだ人間のことを、悪く言うのはやめろっ!」
それから凛とした声で続けた。「親父はワンマンだったかも知らん。しかし、二流の木原酒造を一流にした、功績のある人間だ。けっして口先だけの男じゃない!
それに、社員を慰労することが、なんで無駄なことだ。社員あっての会社じゃないか!
本当に無駄なのは、震災で会社が非常時のときに何もせんで、のうのうと役員報酬を受け取ってる人間だ。ちっとは自分のことも省みろっ!」
老人は紳一の剣幕に、あっけにとられて固まっていた。
紳一は怒りを押さえた低い声で言った。
「これからは、文句があるなら、直接、私に言ってくれ。いつでも受けて立つし、受ける以上は、徹底的にやるつもりだ。以上!失礼する!」
ドアの側で、年配の執事があっけにとられた表情で、立ちすくんでいた。紳一が部屋を出るとき、彼はあわてて脇に飛びのいた。

あとに残された高村老人と北田の間に、沈黙が流れた。高村老人の顔は血の気が引いて、蒼白だった。
しばらくして、気を取り直したように老人が言った。
「なんや、あの男は――無礼な奴や。いつもあんな調子なのか?」
「いえ、そんなことはありません。紳一社長は、ものをはっきり言われますが、道理はわきまえております。あれでも、社員や重役たちに人望がありますから」
北田はうつむいたまま、ボソボソと言った。
「と言うことは、わしのほうが道理をわきまえていない、とお前は言ってるんやな」
「いえ、そんなつもりは――」
「なんだ、はっきり言わんか」
北田はうつむいたまま、先ほど若社長が言ったことを反芻していた。長老と若社長のどちらが道理をわきまえているか、それは明白だった。
彼は顔を上げると、長老の目を真っ直ぐに見た。
「紳一社長は、いつもはあんなに高圧的ではございません。あの方は、性格的にはおじいさまの宗一郎さまに似ていらっしゃる。
でもあの方が怒られたときは――いつだったか、わたくしども幹部たちが、あの方に一喝されたことがありました。まるで、繁社長が生き返られたかと一瞬思いました。ものすごい迫力で――あの激しさは、お父さま以上かも知れません。あのときの紳一社長は、相手がだれであろうと断固として許さない、徹底的に打ち負かしてやる。そんな底知れぬ恐ろしさを感じました」
北田の話を聞いていて、こんどは長老のほうが黙り込んでしまった。

その年の決算取締役会は、驚くほどスムーズに議事が進行した。
いつもあれこれと、ねちっこく質問する高村長老が、まったく発言しなかったからだ。進行役の大園専務は、なにか反応はないかと、ときどき老人のほうを窺っていた。
とうとう会議が終了するまで、長老からは一言も発言がなかった。
会議のあとの昼食会で、長老は用事があるといって、先に帰ってしまった。
「今日の長老はどうしたんや?妙に静かやったけど――」
食事の席で、木原社長が大園に話しかけた。
「さあ、わしにも分かりませんな。お加減でも悪かったのではないでっしゃろか。お食事も辞退されるなんて――」
大園もキツネにつままれたような顔をしている。
思い当たる節のある北田相談役だけが、居心地悪そうに、黙々と食事をしていた。
「それとも、若い役員が出席していたので、長老、遠慮されたのかな?」
木原社長が、向かいの席にいる紳一を見て笑った。
「そんなタマじゃないでしょう、あのじいさんが――」
おもわず口を滑らせて、紳一はしまったと思った。
社長がけげんそうに紳一を見た。
「お前、長老に会ったのか?」
「正月に、北田相談役と年始のご挨拶にうかがいました」
紳一はなんでもないといった顔つきで、返事をした。その横で、北田は体を強張らせて、黙々と食事をつづけている。
木原社長は、変だなという顔で北田をチラッと見て、紳一に向き直った。
「それは知らなかった。おまえ、そのとき長老に、なにか失礼なことをしなかったやろうな?」
「とんでもない。ごく穏やかな会話があっただけですよ。ねえ、相談役」
紳一は涼しい顔で言った。
北田はひたすら箸を動かしながら、操り人形のように、ぎこちなくうなずいていた。

――*――

『ガーデンシティー六甲苑』の工事は着々と進み、団地全体の竣工まであと10ヶ月あまりとなった。先行して完成したマンションや一部のオフィス棟では、すでに入居者による生活が始まっていた。
建設中のオフィスや商業施設は予約ですべて埋まっていたし、2ヶ月後に控えた最終分譲予定のマンションも、有望客のストック数からみれば、完売間違いなしと思われた。
木原ビル全社員の克己的な努力の成果とはいえ、傍目にはすべてが順調に見えた。しかし内部では、いくつかの懸案事項も残っていた。以前、現金でマンションを売ってくれと言ってきた、暴力団風の男の問題も、そのひとつだった。
県警にいる中田の知人の調べで、女性の申し込み客は暴力団組長の二号で、中田に接触してきた男は、その組員だということが判明していた。
『龍神組』と名乗るその暴力団は、関東の広域暴力団、岩井組の傘下にあった。
その後も龍神組からの接触はつづいていた。彼らは法に触れぬように、会社に対して巧妙な圧力をかけてきた。警察にも相談したが、法に触れぬ限り警察には手の出しようがないと言われた。

紳一は、この件は彼と中田だけで対処することにした。他の社員たちには、マンション申し込み客のチェックやそのほか不審なことを見かけたら、すぐに連絡するよう指示を出しておいた。
中田に接触してきた男とも直に会って話をした。その男は、きっぱりと断る紳一に、これ以上話をしても埒が明かないと思ったのか、ある日、当の組長を連れてきた。
その組長は、がっしりした体格をした40代の男だが、つぶした声で人情味に訴えてきた。――自分は兄さんとこのマンションが気に入ってる、ここに住んでも悪いことはせえへん、金はある、なんとか売ってくれ――云々。
組長の背後では、ふたりの若い男が突っ立って、無表情に紳一と中田を見下ろしていた。
紳一は中田といっしょに、組長の話を辛抱強く聞いていた。それから男の話が終わると、彼はきっぱりとした口調で言った。このマンションは公庫融資付きマンションだから、融資条件に満たない人は購入できない。それから警察にも相談したが、暴力団関係者には売らない。なぜなら、本人が何もしなくても、なんらかの形でほかの入居者に迷惑がかかるから。紳一は臆せず、堂々とした態度で説明した。
組長は身じろぎもせずに、紳一の目を見ながら聞いていた。紳一の話が終わると、男はドスの利いた声で、それが兄さんの返事やな、と言って立ち上がった。
次の日から、彼らの連絡はプッツリと途絶えた。
[18/08/26 07:38 閑名三爺]
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